心身医学は元来、心と体の関係を探求する学問として始まったはずです。先に述べたように近代医学は細胞病理学、細菌学に支えられて発展し、心の問題は医学よりも宗教や哲学的課題でした。しかし、人々の生活の実感として心理状態が身体に影響すること、逆に身体の状態が心に影響することは、それほど違和感のあることではありません。それを分けて探求しているのは近代西洋医学の特異的なところといってもいいでしょう。東洋医学では「七情内傷」という言葉に表されるように感情が内臓の働きに影響を与えることは当然のこととして理解されています。チベット医学でも、その他の様々な民族に伝承される伝統医学においては、普通に語られることです。
 日本語の言い回しにも、「怒髪天をつく」「恐怖で血の気が引く」「怒りで頭に血が上る」「悲しみで胸が張り裂ける」「興奮して血湧き肉躍る」「胸が高鳴る」「はらわたが煮えくりかえる」「断腸の思い」「背筋が凍る」「鳥肌が立つ」「地に足がつかない」「腹が据わる」「腑に落ちる」「肝が据わる」などなど、心の状態を身体反応で表現することが多いし、こういう表現はただ「怒り、喜び、悲しみ、とまどい」と表現するよりも、より共感しやすい、心から分かち合える表現ではないでしょうか。
 ですから、学問的にどうであれ、心−感情−身体の関連は人間にとって自明で身近なものだと思います。それが、まったく実感のない細胞レベルの現象を示す用語、細菌の名前だけで人間の体や病的状態を説明されてもしっくりこないか、「お医者さんの言うとおり」という「専門家にお任せの世界」にはまってしまうでしょう。しかし、自分には実感できる自分の身体がある。実感できない無機質的学問の世界とリアルタイムに実感する有機的な自分の身体の間、その違和感こそが心身医学という学問の動機であり、人間の真実に迫る道であると思うのです。
 というわけで、心身医学は「人間の心と体の関係」専門的な言い回しで「心身相関」を探求する医学であり、「心と身体がいかに影響しあい、それが身体疾患の成立にどの程度関与しているのか」を解明しようとする学問として始まったのです。ある意味、身体疾患に対する心の影響を無視してきた近代医学に対するアンチテーゼ的なニュアンスがあったと思います。
 日本の心身医学の創始者とも言える故 池見酉次郎氏は1963年初版、心療内科(中公新書)の中で次のように述べています。

 「注意を促しておきたいことは、心身医学は「病は気から」というような諺を文字通りに受け取ろうとする医学でもなければ、心だけが原因で病気がおこるとする医学でもないということである。心身医学は、なんらかの体の異常や症状を訴える患者について、その原因を心身両方向から、さらには気候、風土などの条件も考えに入れて総合的に診断する、また治療に当たっては身体的な面に重点をおくべきか、心理的な面に力を入れるべきか、あるいはその両方にたいする処置を行うべきかなどをよく判断して、それぞれの症例に応じた適切な治療を行うことを目的としている。
 われわれは現代医学が身体の面にだけ偏っていることを矯正しようとして、今度はかえて行きすぎた精神主義に陥ることのないよう、よほど慎重でなければならない。心身医学は、身体医学の今日までの輝かしい成果を否定して、精神主義を築こうというものでは決してない。それは、体だけでなく心も含めた立場から病気を見直すことによって、身体医学的な治療だけでは想像もつかなかったような新しい治療の可能性を見出してゆこうとするものである。」
 この言葉は約40年前に記述されたものですが、今読んでも教訓と感じるものです。それくらい心身医学のおかれた立場は変わっていないということなのでしょうか・・・・。


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