受動的集中と東洋的アプローチ

自律訓練法は、基本的には極単純な公式を心の中でくり返すだけという簡単なものです。形から入るという、「東洋的なアプローチ」をベースにしています。

東洋的なやり方の多くは、型を大事にします。「その形の中に意味があり、型を理屈抜きにくり返すことで、自ずと意味に到達できる、その時がくるまで頭は使うな」というやり方ですね。ヨガ、気功、座禅などなど、基本はみな同じだと思います。少し昔の映画ですが、燃えよカンフーというものがありました。少林寺に入門が許されるまで、雨の日も風の日も門前で座り続けます。入門を許された時には、すでに基本ができているというわけです。こういう話を聞いたこともあります。中国に有名な気功師がいて、ある場所で毎朝集団で修行をしている。そこに入門しようとしたら、「私の弟子になりたければ、まず毎朝この場に来なさい、3年間」と言われるそうです。それも同じですね、入門を許される時にはすでに基本が出来ている。また、ベストキッドというアメリカ人青年が日系老人に空手を習う映画がありました。それも、理由の全く不明な仕事を毎日押しつけられて、いつまでたっても空手を教えてもらえない、不満と怒りを感じ、嫌になっている時、暴漢に襲われたら自然に身体が動いた。そして意味をしる。東洋的な話にはそういうものが大変多いです。

ここで重要なのは、そういう意味深で神秘的であることではなくて、「身体と通じて、体験を通じてしか理解できないことがある、それは言葉では表現できないし伝えられないものであり、いかなる言葉で説明しようと、説明した段階で全体から遠ざかってしまう」ということです。ブルース・リーの燃えよドラゴンの冒頭に有名なシーンがありますね。弟子に指導をする時に「Don't think, feel!(考えるな、感じ取れ)」っていうやつです。

長々と書きましたが、自律訓練法も同じで、「基本公式をひたすらやりなさい、考えるな、いずれわかる」ということなのです。その時の意識の統制のしかたを「受動的集中」といい、到達点を「変成意識状態」といえます。

そうは言っても、西洋式科学教育に子どもの時からすっかり洗脳され続けてきたわれわれの世代には、それでは理解しがたいし、分かるまでただただ続けなさいというほど、のんきなことを言っていられないのが現状です。それに、必要な人ほど抽象的なやり方では理解できないというジレンマもあります。また、修行治療の違いは、前者はすきな人が好きでやっていることですが、後者は好き嫌いは関係ないし、ご本人自身、「そんなややこしいことならしたくないです」となってしまうかもしれませんしね。

「それがいけないんだよ、そういう結果を急ぐ、答えを求める文明のありかたこそが、ストレス疾患の根源的問題なんだ」といってしまえばそれまでです。それでもそこんところを、もうちょっと理念と現実に折り合いをつけましょうというのが心身医学的発想というわけです。

しかしですよ、私自身がどうやって受動的集中とか変性意識状態というものを理解したかといいますと、疑いながらただ、型に従っていったら、ある時内側から理解できたという、まさに東洋的変化が起きたわけなので、説明しようとするのは矛盾した行為なのかもしれません。

それでも、何かのヒントになればと思って説明しますね。

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