1.心身医学が誕生するまで

科学的進歩は要素還元主義という立場をとることでもたらされたと言えます。最も本質的な一つの要素を見つけだすことで、自然現象をコントロールしようとした人間の大いなる知恵のありかたといえましょう。そういった科学的手法が進歩する以前は、自然界の出来事を抽象的に物語として、あるいは神や宇宙の意志という人がさからうことのできない現象としてとらえていたのでしょう。自然災害や病気によって大切な人引き裂かれる苦しみや悲しみを克服しようとして、幾多の実験を繰り返し人類は科学的手法というものを確立したのでしょう。
 
 そして、見えざるものの中から「細菌」という敵を発見し、それを駆逐する道具として「抗生物質」を手に入れました。また病気を引き起こしている「悪い細胞」や、病気を起こしている部分の「細胞レベルの変化」をみつけ、その現象をコントロールするための道具としていろいろな薬を手にしました。悪い部分を切除する技術も手にしました。「細菌学」と「細胞病理学」を発端に近代医学はめざましい発展を遂げました。もうはやり病を恐ることもない、大きな外傷も治せる、そして死亡率が年々減少していくという過程では医学の進歩というものに誰も問題を感じなかったでしょう。それどころか諸手をあげて賞賛したことでしょう。

 こうして人類は自然界を理解できる要素にバラバラに分解していきました。そもそも、要素還元主義的科学手法は心と体をわけて、「身体は機械」という前提で進歩してきました。そして「心」は科学の対象外にされるところから始まっています。心と体は分けられたまま研究は進んでいったのです。そういう文化的土壌が完成してしまうと、恐ろしいことに人間とはそういう存在であるような錯覚に陥ります。しかし、中医学、アーユルベーダ、チベット医学など他の伝統的な医学大系では、心と体を分けて考えているようなものはありません。これは近代西洋医学医学特有の進歩の歴史なのです。

 さらにその他のテクノロジーの進歩は人体という未知の領域を、開拓するのに大いに貢献しました。人体内を生きたまま見るための技術は今も進歩し続け、人体を構成する成分の解析もどんどん進歩し、今では分子レベル、遺伝子レベルの話が花盛りです。バラバラに分解してターゲットを抽出するという技術により、近代西洋医学はその他のいかなる医学よりも人体についての情報を得て、多くの健康上の問題をコントロールできるようになりました。

 それなのに近年、医学に対する厳しい批判が相次いでいます。医療事故のことではなく、医療のありかた自体が非人間的であるかのように言われるようになりました。「部分だけ見て全体を見ない」、「患者の話を聞かない、心のケアをしてくれない」など人間を心と体の統合体として全体的に見てくれないといういう批判がなされるようになったのです。これは当然の批判ですが、医者が堕落したわけではないということは理解すべきです。初めから近代医学はそういう道を歩んできたのです。近代医学発祥以前、まだ「自然」や「神」がすべてを支配して、人はそれにあらがうことが出来ず、苦しく悲しかった。そこから脱却するために、ある程度のリスクを覚悟で、多くの犠牲の上に、気が遠くなるような実験の繰り返しの末に、人類はここまでやってきたのです。そして、今、ある程度「自然の掟」をコントロールできるようになったのですが、ほどほど所でやめておくことが出来ず、行きすぎてしまって新たな矛盾に直面したということではないでしょうか。これは進化上の通過点なのだと思います。

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2.心身医学の成立と発展

心身医学が生まれる素地として、精神分析学に代表されるように人間の心の働きがわかるようになったこと、それと同時に、ストレス学説、条件反射学説のように心と体の精神生理学的関係がわかるようになってきたことがあげられます。
しかし、当初は身体症状と心の問題との関係を精神分析学的に理解しようとしすぎる傾向がありました、というよりそれがなされる時代的背景があったわけです。
精神分析学が華やかなりし頃、そして今ほど精密に人体を理解することができなかった頃、身体疾患すら人間の心的葛藤の産物であるかのごとく解釈しようとするところから心身医学は始まったと言えるでしょう。
心身医学の開祖とも言えるアレクサンダー,Fが"Seven Holy Disease"との表現で心理的現象が色濃く身体に反映する疾患を表しました。その7つの疾患とは「本態生高血圧、気管支喘息、消化性潰瘍、神経性皮膚炎、甲状腺中毒症、潰瘍性大腸炎、慢性関節リウマチ」です。
当初、心身医学はこういった「心理活動が自律神経、内分泌、免疫系を介して身体疾患の成立に深く関与する病態」を研究する学問でした。
近年、大脳生理学、神経心理学、神経内分泌学、精神神経免疫学など生物学的基盤が積み上げられると同時に、行動医学、認知心理学、学習理論など人間の内面的活動を数量化、理論化する分野が発展してきました。
それらの進歩によりこれまでは科学的に扱いづらかった人間の心理活動や脳のしくみ、脳−臓器相関現象はより科学的に説明できるようになってきました。それらが発展すれば、心身医学が主張する人間の心と身体の密接な関係(心身相関)は自然に人々の生命観、疾病観の中にとけ込んでいくはずだったのです。
みなさまは、病気になったときに、それを心の状態や生活状態に関連して理解しようとしますか?例えば下痢をした時に「あー、あしたの試験が心理的プレッシャーになって下痢しちゃったよ」とか、蕁麻疹がでたとき「自分はずっと言いたいことも言えずにいたけど、本当はあいつに対して腹が立っている。それを我慢していたら蕁麻疹がでちゃったよ」とか言うでしょうか?普通はいいませんよね。結局、こういった心身医学的発想は普及していないのです。
それに比べて、下痢をしたとき「何かに感染したかな」「大腸ガンじゃないだろうか」とかはすぐに頭に浮かびますよね。こういう西洋医学的考え方はすっかり普及しているわけです。
また医学の教科書をひもといても、疾患の原因というところに「心理的葛藤」とか「心身相関」いうセリフは決してかかれていません。せいぜい「生活上のストレスが疾患の経過に影響を与えることがあるので心身の安静が望ましい」程度のことしか記載してありません。

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3.心身医学は何をしようとしたのか

心身医学は元来、心と体の関係を探求する学問として始まったはずです。先に述べたように近代医学は細胞病理学、細菌学に支えられて発展し、心の問題は医学よりも宗教や哲学的課題でした。しかし、人々の生活の実感として心理状態が身体に影響すること、逆に身体の状態が心に影響することは、それほど違和感のあることではありません。それを分けて探求しているのは近代西洋医学の特異的なところといってもいいでしょう。東洋医学では「七情内傷」という言葉に表されるように感情が内臓の働きに影響を与えることは当然のこととして理解されています。チベット医学でも、その他の様々な民族に伝承される伝統医学においては、普通に語られることです。
 日本語の言い回しにも、「怒髪天をつく」「恐怖で血の気が引く」「怒りで頭に血が上る」「悲しみで胸が張り裂ける」「興奮して血湧き肉躍る」「胸が高鳴る」「はらわたが煮えくりかえる」「断腸の思い」「背筋が凍る」「鳥肌が立つ」「地に足がつかない」「腹が据わる」「腑に落ちる」「肝が据わる」などなど、心の状態を身体反応で表現することが多いし、こういう表現はただ「怒り、喜び、悲しみ、とまどい」と表現するよりも、より共感しやすい、心から分かち合える表現ではないでしょうか。
 ですから、学問的にどうであれ、心−感情−身体の関連は人間にとって自明で身近なものだと思います。それが、まったく実感のない細胞レベルの現象を示す用語、細菌の名前だけで人間の体や病的状態を説明されてもしっくりこないか、「お医者さんの言うとおり」という「専門家にお任せの世界」にはまってしまうでしょう。しかし、自分には実感できる自分の身体がある。実感できない無機質的学問の世界とリアルタイムに実感する有機的な自分の身体の間、その違和感こそが心身医学という学問の動機であり、人間の真実に迫る道であると思うのです。
 というわけで、心身医学は「人間の心と体の関係」専門的な言い回しで「心身相関」を探求する医学であり、「心と身体がいかに影響しあい、それが身体疾患の成立にどの程度関与しているのか」を解明しようとする学問として始まったのです。ある意味、身体疾患に対する心の影響を無視してきた近代医学に対するアンチテーゼ的なニュアンスがあったと思います。
 日本の心身医学の創始者とも言える故 池見酉次郎氏は1963年初版、心療内科(中公新書)の中で次のように述べています。

 「注意を促しておきたいことは、心身医学は「病は気から」というような諺を文字通りに受け取ろうとする医学でもなければ、心だけが原因で病気がおこるとする医学でもないということである。心身医学は、なんらかの体の異常や症状を訴える患者について、その原因を心身両方向から、さらには気候、風土などの条件も考えに入れて総合的に診断する、また治療に当たっては身体的な面に重点をおくべきか、心理的な面に力を入れるべきか、あるいはその両方にたいする処置を行うべきかなどをよく判断して、それぞれの症例に応じた適切な治療を行うことを目的としている。
 われわれは現代医学が身体の面にだけ偏っていることを矯正しようとして、今度はかえて行きすぎた精神主義に陥ることのないよう、よほど慎重でなければならない。心身医学は、身体医学の今日までの輝かしい成果を否定して、精神主義を築こうというものでは決してない。それは、体だけでなく心も含めた立場から病気を見直すことによって、身体医学的な治療だけでは想像もつかなかったような新しい治療の可能性を見出してゆこうとするものである。」
 この言葉は約40年前に記述されたものですが、今読んでも教訓と感じるものです。それくらい心身医学のおかれた立場は変わっていないということなのでしょうか・・・・。

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